マグリット展
こんにちは。
今週の水曜日にマグリット展に行ってきました。
東京での開催は明日までだそうです。ね。
友人2人と待ち合わせ、六本木駅からダラダラと小道を歩いて10分。
なぜ乃木坂駅集合にしなかったのかに疑問を感じながら入場すると、様々な作品がぼくらを待ち構えていました。
実際の分類はもう少し細かったのですが、印象として残っていることを元に三期に分けてみました。作品も覚えている限りとイメージと、なので、間違っている部分の方が多いと思われます。
ええ。完全に素人目です。もし識者の方々が見ていらしたら、暖かい目で批判して頂けるとありがたいです。
- 初期
20〜35歳くらい?
最初の印象はとても風刺の効いたデザインをする人だなあ、というものでした。
ただ、作品を見ていこうにも、パッと見てこの絵は何を意味しているのか全く想像もつきません。脚注に説明がない限りよくわからないのです。
マグリットが自身の実物と虚像とに対する論を展開する作品(名称は失念しましたが、グダグダと文章が書いてあるやつです)を読んでからは、やりたいことはなんとなくわかりました。
しかし、
同時に抱いたのは、
「タイトルがない限り意味を与えられない絵画なんてただの落書きと変わらないじゃないか」
という否定の感情でした。
絵描きなら絵で納得させろ!
くだらない講釈を垂れ流して説明するのは逃げだ!
と、絵描きでない自分が思うのはアレなのですが、とにかくその若いやつ特有の驕り(俺、こんなこと考えてんだぜ!すごいでしょ!)みたいなものが感じられて、強い嫌悪感を覚えた記憶があります。
なんだかお高くとまっていそうなヤツは嫌いなのです。
いろいろこねこねと考えることは否定しませんし、好きですが。
少しの同族嫌悪が混じっているかのようにも。
- 中期
36〜50くらい?
中期は、初期によくあったスカした感じがなくなり、自分が今まで信じていたものを一旦棚上げし、様々なことを模索しているような印象を受けました。
正直に言ってこの時期の作品は全く意味がわかりません。
タイトルと絵との関係も疎遠になり、たまに慣れ親しんだ記号が作品に姿をみせるものの、結局何がしたいのかよくわからず、混乱。
だからこそ、マグリットにとってこの時期はきっと、とても大切なものだったのでしょう。
新たな時代の流れに身を任せ、その時々で感じたことを作品にぶつける。
昔の自分の作品と同じようなものは書けるが、何かが違う。
そんな苦悩を抱えながら、怒りを原動力にマグリットは創作活動に励んでいたのでしょうか。
まあ完全に妄想なんですが。
- 後期
60手前〜くらいから?
はい来ました。
はい来ました!
はい!来ました!!
完全にこの時期に入ってからが最高だと僕は考えます。
何が最高かというと、
山脈の上にでけー岩があるイメージが浮かんだので書きました!
みたいなことを脚注でぬかしている点です。
もうこれ、最高なんですよ。
初期には理屈を求め、
中期には情熱を求め、
意味を求め続けてきた結果、
意味のない絵を描いているんです。
見方によっては今までの自身の製作を根本から否定するような、その変貌ぶりは、僕を異常に惹き付けるのですよ。
シンプルでありながら最初に見たときにその絵の状況を考えたくなるようなインパクトを多分にはらんでいる。
理論や情熱、気が狂うほどに探求して初めて、マグリットは初期の作風に戻るという選択を選んだのです。
そこにどれだけの意味があるのかは本人しか知ることはできず、僕たちはその作品を見てから意味を見出すことしかできません。
でも、なんとなく、マグリットの気持ちがわかったような気がして、
(ああ、来て良かった)
と、若輩ながらに思ったものです。
- 感想
ある程度知識をつけてから美術館に行くことは、なんとなく芸術に対する冒涜のような気がして、いつも知識ゼロのままふらっと行くことにしています。
美術館の楽しみ方は人それぞれですが、僕は友達と行ってああでもないこうでもないとくだらない妄想や皮肉をひたすらに喋り続けることが好きみたいです。
だから正確に言うと、これはマグリットの作品に対する批評というよりかは、「マグリット展」に対する感想なんじゃないですかね。
言い訳はこのくらいにして、とにかく色々考えられるので最高ということです。
機会があればぜひ。あと一時間くらいで終わりますが。