ぴろブロ

普段考えることをぶちまけています。意味はありません。

メガネとコンタクトと私

ぼくはメガネが苦手だ。

つけたときにする視界の歪んだ感じにどうしても対応しきれないのだ。
目に直接つけないので眼球に傷はつかないかもしれないけど、どんどん視界が蝕まれていく。つけた瞬間にははっきりと見えていたものが、1時間、2時間と経つうちにだんだんぼやけてきて、目の奥がどんよりした気持ちになって、その気持ちが脳みそに伝わってどんどん気分が悪くなり、最終的にふてくされて寝ようとする。
ネットサーフィンも、読書も、勉強も、どれも手につかないままあのまどろみに引き込まれてしまう。

なので一日中コンタクトを付けっ放しだし、1週間くらい外さないときもある。
友達の親戚が、コンタクトを付けっ放しにしていたせいで失明しかけたとか、そんな話を聞いても、
(でもそれはソフトレンズだからだ。自分はハードレンズだからなんとかなるんだ)
というむちゃくちゃな反論をでっちあげて日々自分を納得させている。これをぼくは「ソフトばっかの損」理論(大手キャリアのトップとは何も関係ない)として提唱している。
今名付けました。
とにかくハードレンズは、たまにゴミが入るとキンタマを打ったくらいのしつこい痛みに悩まされることを除けばとても便利なのだ。水洗いできるし。

たまに、ふと思い立ってコンタクトを外す。
そういうときは本当に急に思い立ってやるもので、そのまま勢いで保存液につけてしまう。
そしてその後にぼくは気づく。

メガネどこ置いたっけ。

そう。めったにかけないものだから、最後に置いた場所がどこだったかいつも忘れてしまうのだ。
いつもは机の上や、洗面台や、ベッドに無造作においてあるのだけど、今日は見つからない。そして、ぼくはコンタクトを外したばっかりだ。どう頑張っても見つからない。
それならば、といろんなところを照らすためにスマホを探すが、それもコンタクトを外す前にどこかにほっぽってしまったので見つからない。
見つからないことが見つからないことを生む、まさに発見のデススパイラルに巻き込まれてしまったぼくは、絶望した。やけくそになった。
疲れ果ててベッドに腰を下ろすと硬い感触が。スマホだ。ぼくは舞い上がった。喜んだ。
気分がよくなったので再び捜索を再開すると、仏壇の棚の上にメガネを発見した。
なぜ前の自分はこんなにへんな場所にメガネを置いたのか。いつもそうだ。この間もものを無くしかけたじゃないか。あれはなんだったか。忘れた。とにかく今回もまた反省するとしよう。
僕はメガネをかけた。



というくだらない文章を書いていたら目の奥がどんよりしてきて、気分が悪くなってきたので、ふてくされて寝ようと思います。